伊那谷の里山の森林環境の紹介

上伊那の山里は大木がなく、芝山や草原だった!!

「昭和初期から現代」

伊那谷絵図

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絵図の説明
「信州伊奈郡之絵図」は、徳川幕府が正保元年十二月二十五日、諸国に「絵図被仰付候衆」を配置し、調整提出を命じたものです。
信濃国では、松平藩・真田真之、飯山藩・松平忠倶、上田藩・仙石正俊、飯田藩・脇坂安元、松本藩・水野忠清の四万石以上の五大名に命ぜられた。
大名達が郡を分担して調整作成したものを正保四年三月十一日付で真田伊豆守幸道が幕府へ進納している。
この絵図から得ることの出来る情報は極めて多い。
上下伊那郡の各村・代官所・城館の他、河川・湖沼、山地や道路等が克明に記されている。
絵図の山里の様子を見ると、芝山が多い。農業中心であった時代は、山は肥料や家畜飼料となる草や、薪や用材の供給源として利用されてきました。
ここに紹介した絵図や、伊那谷の昔の資料によると、山には木が少なく芝山・採草地・荒地でした。

昭和初期から現代

その後採草地や薪炭林は利用されなくなり、植林が行われました。昭和35年頃から造林が盛んに行われ現在の様な大木のある山里になってきました。
こうして植林してきた先輩方の努力で貴重な資源が蓄積されています。

こうして、先輩方の努力で育てられてきた山里の樹木という貴重な資源を、NPO森林環境では間伐等手入れをして、次世代に素晴らしい森林を引き継ぐ様に努力しています。